Hebidas ヘビダス  ボールパイソン大百科

P13  パイソン信仰

 ボールパイソンを敬愛したり崇拝したりするのは我々が最初ではない。

 Ophiolatry(ヘビ崇拝)とはヘビを崇め奉ることであり、古今東西の多くの宗教における一つの要素だと見なされている。サハラ以南のアフリカ全土では、57個の原住部族において、ヘビ崇拝を含む宗教や信仰が見られるという。こうした文化のなかには、ヘビを他のどんな動物よりも崇拝しているところもあった。一般的にヘビは邪悪な霊か人間の生まれ変わった姿と見なされている。また、ヘビは多産のシンボルでもあり、人間と神との仲介役となることもある。特定の種が部族のトーテムになることもあるし、特定の個体が崇拝される場合もある。

 黄金海岸と奴隷海岸(現在のナイジェリア・ベニン・トーゴ・ガーナの沿岸地帯)を最初に訪れたヨーロッパ人たちは、この地域の原住民がパイソン信仰という比較的珍しい形のヘビ崇拝をおこなっているのを発見した。パイソン信仰をおこなっている西アフリカの民族には、ダホミー族、フイダ族、ポポ族、アシャンティ族、ヨルバ族、アイボ族、ベニン族、イジョー族などが含まれている。パイソン信仰が一番記録に残っているのは、フイダ族の文化である。フイダ族は現在のベニンとナイジェリアの国境付近の沿岸地域で暮らしていた部族である。文献のなかでは、フイダ(Whydah)族はHueda、Whydaw、Fidaと綴られる場合もあったことを付け加えておく。

 ボスマンは1700年当時のフイダ族のパイソン信仰を以下のように記述している。「彼らの主神はある種のヘビで、神々のなかでも一番位の高い存在だった。彼らはヘビに最大限の祝辞と貢ぎ物を捧げていた」 また、ムエルドは以下のように述べた。

 理由はよくわからないが、フイダ族の信仰している神は、ダボアという名のある種のヘビの形をしていた。そのヘビはおとなしい無害なヘビで、人間を威圧するほど大きいものではなかった。このダボアは最高の敬意をもって世話をされており、呪術の家あるいは寺院のなかでラット・マウス・鳥などを与えられていた。この寺院のなかでは、人々は礼拝をおこなうとともに、病人や怪我人が回復の祈りを捧げていた。

 ボスマンの報告によると(その後のバートン、スカーチリー、ロー、ノーマン&ケリーの報告においても同様だが)、フイダ族はパイソン・ハウス(パイソンの家)を管理していた。それは基本的には寺院に相当するもので、なかにパイソンが棲んでいて、人々はそこに出向いて貢ぎ物を捧げたり礼拝をおこなったりしていた。フイダ族の王が住む首都村サビにあるパイソン・ハウスは、わら葺屋根の円筒形の家で、扉のない二つの狭い出入り口があったと記述されている。建物は内側も外側もしっくいが塗られ、そこに棲むパイソンの世話をしている司祭によって清掃がいきとどいている。フイダの王は定期的にパイソン・ハウスに貢ぎ物を捧げた。年に一度、フイダの王と王族たちがパイソンの寺院へと儀式的な行進をおこない、王は家来にも見えるように自らの宝を寺院に納めた。

 ヘビの寺院に棲んでいるパイソンは神の化身であり、他の場所にいるパイソンについても同様に神の化身と見なされた。この点において、パイソン信仰はアフリカの他の地域のヘビ崇拝とは異なっている。他のヘビ崇拝においては、ヘビは(神の化身ではなく)精霊・魔法・権力が具現化した存在だと見なされているのが普通である。

 パイソンを殺したことに対する罰は死刑であり、王といえどもこの法律から逃れることはできない。パイソンが一人の子供に触れた場合、その子供は強制的に家族から引き離されて、パイソン・ハウスの司祭となる訓練を受けさせられることになる。ボスマンは次のような逸話を紹介している。

 一匹のブタがヘビに咬まれた。ブタは復讐のため、あるいはヘビ(=神)の肉を欲して、黒人の目の前でヘビをつかまえて食べてしまった。黒人は離れた場所にいたので、ヘビを救うことができなかった。この事件を知り、司祭たちは王に直訴した。しかし、ブタは自らを弁護できず、弁護人もいなかった。とても論理的とは思えないが、司祭たちは王に勅令を発するように嘆願した。それは、今すぐ国内のブタを皆殺しにして、ブタという生き物を全滅させるようにという内容のものだった。彼らは罪のない生き物を殺すことが適切かどうかといったことをまるで考えようともしなかったのである。

 同じ報告のなかで、ボスマンは、フイダ族のパイソン信仰を軽視することの危険性はブタだけではなく、外国人にもあてはまるということを指摘している。

 かなり昔、イギリス人が初めてここで貿易を始めた頃、とても悲劇的な事件がおきた。あるイギリス人の船長が部下とともに上陸して荷揚げをした。一行は家のなかにヘビを見つけ、良心のとがめもなく、すぐに殺してしまった。彼らはいいことをしたと思い込んで、死んだヘビを戸口から投げ捨てたが、翌朝、現地の黒人たちがそれを発見した。誰がこんなことをしたのかと問いかけると、イギリス人は自信たっぷりに自分たちだと答えた。それを聞いて激怒した現地人は、イギリス人に襲いかかって皆殺しにし、その家と商品を燃やしてしまった。

 実際、フイダ族のパイソン信仰は非常に強く、結果としてそれが彼らの没落にもつながった。スネルグレーブはダホミー族がフイダ族を征服した際の逸話を紹介している。ダホミー族の国はフイダ族の内陸部に位置していた。ダホミー族の王は海岸線にまで領土を拡大したいと考えていた。そうすれば、自分たちも奴隷貿易に参加して金を儲けることができるからだ。王は兵士を率いて、フイダ族の首都村サビを東へ半マイル行ったところに流れる川まで進軍した。ダホミー軍はそこで数日間キャンプを張り、フイダ族からの激しい防衛を予想していた。実際その気になれば、フイダ族の王は少なくとも2万人の男女混成軍を投入することもできた。

 しかし、ダホミー族の驚いたことに、サビ村には守衛すら立っていなかった。毎朝毎夕、フイダ族の集団が川に来て、ヘビの神に貢ぎ物を捧げて、ダホミー族の戦士に川を渡らせないでくださいと祈りを捧げるだけだった。スネルグレーブによると、フイダ族には、自分たちに危機が訪れた時には、ヘビ神に助力をお願いすれば、必ずその願いは聞き届けられるという伝統があったらしい。

 しかし、この時ばかりは、彼らの儀式は効を奏さなかった。1727年3月、フイダ族はダホミー族によって征服された。征服者であるダホミー族は、家のなかや村じゅうのいたるところで数多くのヘビを発見した。スネルグレーブの報告(1734年)によれば、ヘビもまた征服者から大きな痛手をこうむった。

 ヘビの数は多く、一種のペットのような存在だったため、征服者たちは家のなかで多くのヘビを発見した。そうして彼らはヘビの胴体をつかんで持ち上げると、こう言った。「もしお前が神だというなら、何とか言って、自分を救ってみろ」 哀れなヘビは答えることができず、ダホミー族はヘビの首を切り落とし、体を切りさき、石炭の上で焼いて食べてしまった。

 ダホミー族に征服されたため、フイダ族は国家としては終わりを告げた。とは言え、ダホミー族はフイダ族に今後もパイソン信仰を含む今までの文化や慣習を続けてもよいという許可を与えた。しかし、注目すべき変化点もあった。それは、パイソンに対する犯罪は死刑ではなく、殴打と罰金刑に代わったということである。

 スカーチリーの報告は多くの点でバートンの報告を裏付けている。そのなかには、パイソン・ハウスから離れた場所で“呪術ヘビ(パイソン・ハウスに棲んでいるパイソン)”を見つけた人物は、そのヘビを司祭のもとに注意ぶかく戻した上、ヘビに触れた罰としてかなりの罰金を支払わねばならないといった例も含まれている。また、スカーチリーは他の種類のヘビを殺しても罰を受けることはないと述べている。

 パイソン信仰に関する一番古い報告は、パイソンに関する科学的な知識が得られる以前にまでさかのぼり、昔の著者は信仰の対象がパイソンであるとは明記していない。パイソン信仰がさかんな西アフリカ地方では、二つの種類のパイソンが存在している。フイダ族の領土では、ボールパイソンとともにアフリカン・パイソンが存在している。アフリカン・パイソンはサハラ以南のアフリカに広く棲息しており、その分布地域で暮らしている多くの集団の宗教や神話に大きな役割を果たしている。この大きくて力強いアフリカン・パイソンが、フイダ族のパイソン信仰の中心に位置していたと思われがちだが、実際には、フイダ族の信仰の対象はボールパイソンだった。

 ボスマンはパイソンを以下のように記述している。「この地で偶像崇拝されているヘビは白・黄・茶色の縞模様をしていて、私がここで見た最大のものは約1.8mの長さで、大人の腕ほどの太さをしていた」 スネルグレーブはフイダ族の神を以下のように述べている。

 この種のヘビはこの国に固有のものであり、他には類を見ないものである。胴体の中央部分が太く、背中はブタのように丸みを帯びているが、頭部と尻尾はとても小さく、そのために動きはゆっくりとしている。体の色は黄と白で、茶色の縞がある。無害なヘビであり、もしあやまって踏みつけて(故意に踏みつけるのは重大な犯罪である)咬まれたとしても、何の害もない。それもまた、彼らがこのヘビを敬愛している理由の一つである。

 その後、バートンはフイダ族の神を以下のように記している。「そのヘビは中程度の大きさのパイソンで、白と黄の縞のついた茶色である。また、体長が1.5mを超えることはない」

 フイダ族は二つのパイソン種(ボールパイソンとアフリカン・パイソン)を区別していなかったという可能性もある。現代でも、二つの種が混在している地域では、多くの部族が二つの種を同じ名前で呼んでいる。しかし、司祭や信者たちがパイソン・ハウスに棲む個々のヘビを区別できたのならば、二つの種を混同することはないようにも思われる。バートンは以下のように主張している。

 アフリカにおけるヘビ崇拝(特にパイソン信仰)は、おもに沿岸地帯に限定されている。ポポ族とウインドワード族は大型の黒いヘビを崇拝している。ビアフラ湾地域では、ナンビ族やブラス川周辺の原住民が、フイダ族のようにボア宗教にのめり込んでいる。18世紀初頭のボスマンは現代でも存続しているように書いているが、この制度は今や古びてしまっている。

 バートンが言及しているポポ族というのは、ガーナの沿岸部、フイダ族の西で暮らしていた部族である。この地域ではボールパイソンは珍しいものではなく、信仰の対象でもあったが、“大型の黒いヘビ”というのは明らかにアフリカン・パイソンであり、デスクライブスの報告(1877年)によっても裏付けられている。

 フイダからほど近いグランド・ポポでは、ヘビの寺院は存在しない。しかし、もっとおどろおどろしいカルト的な扱いを受けている。その地域には、大型の凶暴なヘビがいて、これらのヘビは小動物を見かけると、情け容赦なくむさぼり食ってしまう。そのヘビが貪欲であればあるほど、信者たちの崇拝度は大きくなる。しかし、最大の名誉・最大の祝福が与えられるのは、そのヘビが幼い子供を食べる時である。その場合、哀れな犠牲者の親は地面に平伏して、自分たちの愛児を食事として選んでくれたことに対して大いなる神に感謝を捧げるのである。

 ブラス川地方のナンビ族は、ナイジェル川の河口付近(現在のナイジェリアの中央沿岸部)、ダホミー族の領土の東部で暮らしていた。彼らのパイソン信仰の詳細については、“フイダ族のようにボア宗教にのめり込んでいる”というバートンの報告以外には何も発見できなかった。しかし、ナンビ族の信仰の対象はボールパイソンだったことがうかがえる。ボールパイソンはもともとボア属に分類されており、19世紀初期の文献においてはボールパイソンは「ボア」と表記されることも多く、この地域にはボールパイソンが珍しくないからである。ブラス川周辺の原住民は1856年にヨーロッパ人と協定を結んだ際に、パイソンを殺してはならないという項目をもりこんだとヒューイは報告している。

 パイソン信仰は中央アフリカ地域のスーダンとウガンダの南西部でも存在していることが知られている。パイソン信仰はこの地方で発生し、16〜17世紀にかけて中央アフリカの人間が西アフリカに移住した際に、パイソン信仰を持ち込み、そこで文献に記録されたのではないかとハンブリーは意見を述べている。

 西アフリカの場合と同じく、パイソン信仰がおこなわれている中央アフリカの北部及び西部の部族の領土でも、ボールパイソンとアフリカン・パイソンの両方が棲息している。しかし、どちらの種が崇拝されていたかについては特定されていない。中央アフリカのパイソン信仰に関しては、ウガンダの湖畔地方の南部及び東部で記録が残っており、同地域ではアフリカン・パイソンだけが棲息している。

 西アフリカと中央アフリカのパイソン信仰について、ハンブリーは以下のような類似点を挙げている。

 他の種類のヘビではなく、パイソンが信仰の対象になっている。ヘビはおとなしくて無害なものである。パイソンがめったに人間を襲わないということは、全ての観察者に一致した意見である。
 小屋(パイソン・ハウスあるいは寺院)のなかには、パイソンに餌を与えるための工夫がほどこされている。
 パイソンが象徴しているのは、超人、軍神、水の精、農耕の守護者、多産の女神などである。
 王はパイソン・ハウスに使いを送って貢ぎ物を捧げる。王は繁栄の祈りを捧げる。
 神のヘビのために、パイソン・ハウスの他にも聖なる小森が管理されている。
 崇拝の儀式をおこなって、貢ぎ物をする人や願い事をする人を集める。
 司祭・女司祭が雇われ、聖なるヘビの世話をしたり、宗教儀式をおこなったりする。司祭は踊りを踊ってトランス状態になり、神託の言葉を口にするが、その言葉は人間には理解できない。

 19世紀から20世紀にかけて、西アフリカではパイソン信仰の伝統は大幅に弱まっていった。その原因は、部族間の争い、奴隷制、ヨーロッパ文化との接触、キリスト教の布教などである。フイダ族はダホミー族に征服され、民族・国家としての独自性を失ってしまった。フイダの町はダホミー王国の港町として知られるようになった。ダホミー民族はダホミー主権国家となり、現在のベニンへと生まれ変わった。しかし、パイソン信仰の伝統は現在でも生き残っている。

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