Hebidas ヘビダス  ボールパイソン大百科

P26  赤外線視覚

 ボールパイソンの頭部をくわしく調べると、唇をふちどるうろこの見事な構造に驚かされる。唇のうろこは“唇鱗”と呼ばれている。上唇鱗は上顎をふちどり、下唇鱗は下顎をふちどっている。ほとんどのヘビの唇鱗は単純な作りだが、ボールパイソンをはじめとする多くのパイソン種とボア種においては、上唇鱗の前部(口吻部を含む)と下唇鱗の後部が変形して、うろこの中央部分が深い穴(ピット)になっている。ボールパイソンの口吻部には二つのピット群がある。一つ目は上唇鱗の前部で、体の中心線から数えて1〜4番目の上唇鱗の一つ一つにピットがあり、それが左右それぞれについている。二つ目は下唇鱗の後部で、洗練されたピットが左右についている。これらの唇鱗ピットは赤外線を感知する働きを持っている。

 ボールパイソンの唇鱗ピットはそれぞれ、ピットの底にある感覚受容体が特定の方向に対して最大限の効果を発揮するような位置についている。ほとんどのピットは前方に向いているが、左右後部の唇鱗ピットはもう少し側面に向けられている。このため、ボールパイソンは顔の真ん前にある物体から放射される赤外線を複数のセンサーを使って検出すると同時に、頭の左右の領域にある熱源も感知できるようになっている。ヘビは暗い巣穴でじっとしているマウスを目では確認できないかもしれないが、その温かい体温の痕跡を感じとることができる。

 各ピットの側面及び底面は薄い表皮で覆われていて、その皮はヘビが脱皮する度に毎回新しくなる。各ピットの内側には、皮内熱受容体がある。各ピットの底(基底部)には、表皮内赤外線センサーの集合体が寄り集まっている。赤外線受容体は脱皮する度に完全に新しいものに換わる。

 雨宮の報告(1995年)によると、顕微鏡で精密検査したところ、ピット基底部の神経が寄り集まった表面部分は、小さな微細孔を持った特殊な構造になっており、表皮がこのような特殊な構造になっているのは、唇鱗ピットの赤外線受容エリアだけだという。雨宮は、微細孔の入口の直径及びその配列パターンが、光のなかの赤外線の波長の感知能力を高めるとともに、可視光線の波長を遮断しているのではないかという仮説を立てている。

 パイソン属においては、三叉神経の三大経路が、左右の唇鱗ピットにつながっている。口吻の左右にあるピットは、それぞれの眼球部につながっている。上唇鱗のピットは三叉神経の上顎深部につながり、下唇鱗のピットは三叉神経の下顎部につながっている。

 三叉神経はピットから脳へと情報を伝達する。情報は口吻部の先端から斜めの経路をたどって、反対側の視覚蓋へと送られる。そこで、唇鱗ピットからの情報と、網膜からの情報が一つに統合される。これ以降は、視覚情報と唇鱗ピット情報は同時に処理されることになる。

 実際、小林の研究(1992年他)においては、ボールパイソンにおいて、視覚からの入力情報と唇鱗ピットからの入力情報が見事に統合されていることが実証されている。小林たちは、網膜の神経細胞と唇鱗ピットの神経細胞が、脳の視覚中枢(視覚蓋)の同じ神経細胞にシナプス結合されていることを示した。言い換えると、脳は唇鱗ピットからの情報を視覚データとして処理しているということである。温度感知が視覚に対してどのようなサポートをしているのか、完全には解明されていないが、なかでも驚くべき点は、唇鱗ピットが赤外線感知力を持ったもう一つの網膜のような働きを持っていることである。目からの情報とピットからの情報を組み合わせることで、ボールパイソンは“幅広い”周波数の視覚域を持っているということが言える。

 パイソンの赤外線視力は、ピットバイパーの赤外線視力ほど正確なものではない。ピットバイパーのピット器官は、史上もっとも優れた赤外線センサーだと言われている。ピットバイパーの八分の一程度の能力しかないとは言え、パイソン属の赤外線感知能力も十分優れたものである。デ・コック・バニングは、パイソン属は25℃の環境において48cm先のMサイズのラットの体温を感知できると発表した(1983年)。モルナーは、パイソン属は周囲の環境よりも体温が10℃高いネズミを28.8cm先まで感知できると発表した(1992年)。

 バレットは、唇鱗ピットがちゃんと機能するのは、ヘビが活動可能な温度域と同じだと発表した(1970年)。バレットによると、唇鱗ピットは餌や外敵を感知する際にヘビを助ける役割を果たしているという。また、赤外線感覚能力の最大の機能は、餌や外敵を発見することであり、二番目の機能は、獲物に対して狙いを定めたり、攻撃をコントロールすることだという。バレットはさらに、赤外線視力は異なる温度の微風を感知したり、環境内にある岩・丸太・穴といった物質の温度を走査したりするのに役立っているのではないかと述べている。視覚情報の入力がない場合、唇鱗ピットから入力された情報だけでは、満足な視覚情報として認識できないのかもしれない。実際には、ボールパイソンの目は光に対する感受性が鋭いので、そうした状況はかなり稀であると思われる。

 数年前、動物園で働いていた頃、赤外線視力を持った種類のヘビは、放射熱の刺激に対して不随意な攻撃反応を示すことがあるのに気づいた。我々が観察したところ、動物園で展示されている睡眠中のピットバイパーやパイソンは、火のついたタバコをガラスに近づけると、タバコの火から発せられる熱に反応して、反射的に攻撃してくることがあった。

 今の世の中においては、動物園のヘビ施設の人ごみのなかで喫煙が許可されているとは到底思えないが、かつては、公衆の面前でタバコを吸っていても、とやかく言われない時代もあった。動物園で展示されているほとんどのヘビは、ガラスの向こうにいるお客の動きや騒音といったものを無視する術をすぐにおぼえるものであり、何年も前から動物園にいる古株のヘビたちが、お客に対して何か反応するといったことはほとんどない。動物園が開園している時間帯には、ヘビの多くが眠っている。彼らが眠っているかどうかは、よく注意して観察するとわかる。眠っているヘビは、目の焦点があっていなかったり、瞳孔が収縮していたり、目がわずかに下向きになっている。

 赤外線視力を持ったヘビが、ガラスのほうに顔を向けて眠っていたとしよう。ヘビの眼前にあるガラス面に、火のついたタバコをかざし、しばらくの間動かさずにじっと待つ。すると突然、眠ったままのヘビがタバコの火に向かってまっすぐに襲いかかってくる。その後すぐ、ヘビは困惑としか言いようのない、「僕は今さっき何をしたんだろう?」といった様子で、舌をチロチロといつもより激しく出し入れしながら、攻撃するつもりがなかったのに攻撃してしまった場所を熱心に調べはじめる。時には、目が覚めているヘビが、1〜2枚のガラス越しにあるタバコの火の熱に反応して攻撃してくることもある。また、ヘビの種類によっても、攻撃の度合いは異なる。一般的に言って、眠っているヘビのほうが、目が覚めているヘビに比べて、熱源に対して突発的な反応を示すことが多い。

 我々がこうして赤外線視覚を持ったヘビの不随意反応の説明をしているのは、ボールパイソンも唇鱗ピットを使って放射熱を正確に感知する能力を持っているからである。たとえば、ボールパイソンが隠れ箱のなかで眠っている時に、あなたが隠れ箱の前に温かい手を置いたとすると、こうした不随意反応を誘発してしまい、普段はおとなしくて非攻撃的なヘビに咬まれてしまうという可能性も考えられる。

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